毎年「受かった」と思ったのに落ちる。中小企業診断士二次試験の現実【第2回/全3回】
第1回では、ツボさんが独学の長い停滞を経て一次試験を突破するまでを追いました。けれど、本当の意味で長かったのは、その先でした。中小企業診断士二次試験は、勉強した量や手応えが、そのまま結果につながるとは限らない試験です。ツボさん自身、「毎年これは受かったなと思ってた」と振り返ります。ところが、結果はそうならなかった。では、何がずれていたのか。何を変えても決め手にならない時期に、ツボさんは二次試験とどう付き合い続けたのでしょうか。
「100人のクラスの1人」では受からないと思った
——二次試験の勉強はどこから変わりましたか。
「一次試験に受かったときに、今度は辻井先生のクラスに移ったんです。でも、その後で『これは駄目だな』と思ったんですよね。先生に質問しようと思うと、その当時は長蛇の列ができるんですよ。これ待ってたら、たぶんいくら待っても終わらないなって。」
ツボさんはTACで学び続けながらも、二次試験では「今のままでは届かない」という感覚を持っていた。理由は、教え方そのものへの不満というより、人数の多さの中で自分が埋もれてしまうことだった。
「辻井クラス100人の中の1人だったら、絶対これは受からないなと思いまして。別な、もうちょっと少人数でやってるところに移って、そこでまた何年かかけて、ようやく6回目の試験で受かったって感じですね。」
二次試験では、予備校を変えたから受かった、という単純な話にはならない。実際、ツボさんはTACに通いながらも、新宿校や八重洲校を移動し、さらにタキプロにも参加している。学ぶ場所を増やしたのは、方法を探していたからだった。
勉強会に出ても、すぐには結果につながらなかった
——勉強会では何を求めていましたか。
「普段はTAC池袋校ですが、池袋に通えないときとかあったので、新宿校ですとか八重洲とかにあちこち転々としながら勉強してました。あと、タキプロにも通ってたんですよ。過去問の事例を解いていって、みんなでその答えに対してディスカッションする、というのをやってました。」
——そこではどんな学びがありましたか。
「学びとかっていうのもあったんですが、結果的には役に立ったような気はしてないんですよね。実はね。この受け取り方が駄目なのかもしれないんですけど。」
ここが、ツボさんの二次試験のリアルなところだ。勉強会に出た。学びもあった。けれど、「それで結果が変わった」とは言い切れない。手応えのある学びと、合否に直結する学びは、必ずしも同じではなかった。
その後、タキプロで知り合った先輩診断士から紹介されたのが「本気道場」だった。
本気道場で学んだのは、答えそのものより「比べ方」だった
——本気道場では何が変わりましたか。
「メソッドとかノウハウとかっていうのを、すごい叩き込まれたというか教えられて。でも、なかなか身に付かずに時間がかかってしまったんですけれども。」
ツボさんの説明によれば、本気道場の解き方は、設問を先に読み、キーワードを想定し、本文を色分けしながら読んで、そこから答えを組み立てるという流れだった。大枠はTACで学んだ方法とも重なっていたという。つまり、劇的に別の流派へ移ったというより、既に知っていた解法を、より細かく、より厳密に運用する方向だった。
「加えて本気道場では失敗ノートを作ることを指導されていました。間違った問題は解答を必ず比較して何が違うのか見なさい、って言われてました。それで自分の解答を見直してましたね」
——具体的には、どんな見直しをしていましたか。
「失敗ノートの作り方みたいなものを、ちょっと発展させたみたいな感じなんですけど。最終的には、設問文とそれに自分の書いた答え、それと予備校とか道場で出された模範解答、ふぞろいとかの解答を比べて、何が足りないのか、どういう言い回しじゃないと伝わらないのか、っていうのを研究しながらやってました。」
二次試験では、「書けたつもり」と「採点される答案」の差を埋める必要がある。ツボさんは、その差を埋めるために、自分の答案と模範解答を比較し続けた。ここで重視していたのは、知識の追加よりも、「どう書けば伝わるのか」の確認だった。
春は上位、秋は下位。そのズレが最後まで消えなかった
——分析を重ねても、うまくいかない感覚はありましたか。
「ありました。ただ、やっぱりね、身に付かなくて苦労しましたよ。最終的に大体、春はいいんですよ。上位10%とか20%以内とかに入れるんですけど。秋になると最下位ぐらいの連絡に落ちちゃうんですよね。」
——その原因はどう考えていましたか。
「何でですかね。読み取り方で失敗するのか、精神力が弱いのか、何なのかっていうのがわかんないんですが。本番に弱い、っていう。」
この発言からは、ツボさんが「努力不足だった」と単純化せず、むしろ自分でも説明しきれないズレに長く向き合っていた印象を受ける。春先には結果が出るのに、秋には崩れる。その繰り返しが、二次試験をより厄介なものにしていた。
得意事例は固定されず、良くなると別の事例が下がった
——事例ごとの得意不得意はどう変わりましたか。
「一番最初やったときは、事例1が何となくできたんですね。理由もわかってて、一次試験で企業経営理論から勉強し始めるじゃないですか。だから毎年、企業経営理論は一生懸命やって、だんだん力が落ちてくっていう。」
「その次、事例3が解けるようになった瞬間、2個全部がいっぺんに上がってるわけじゃなくて、誰かが良くなると誰かが下がっていくみたいな感じ。最後まで上がらなかったのが事例4なんですけど。」
——最終的にはどの事例が得意だったと思いますか。
「一番点数が良かったのは、結局事例2だったので、たぶん事例2が得意なんだろうなとは思います。」
二次試験の難しさは、四事例を同時に揃えなければいけないことにもある。ひとつ伸びた感覚があっても、別の事例が下がる。ツボさんの話には、そうした「全体最適の難しさ」がそのまま表れている。
「勝ちパターン」はなかった。ただ、文章は変わっていった
——自分なりの勝ちパターンはありましたか。
「ないっす。」
短い答えだが、ここにもツボさんらしさがある。再現可能な必勝パターンが見つかったわけではない。その代わり、書き方の方向性は少しずつ絞られていった。
「先生の型にはめていく解答をすすめられていたので、それに合わせようと努力していたので。あとは、主語述語はちゃんと書こうね、っていうのは意識してました。」
「いろんなことを書こうとしてしまうのが、かえって駄目みたいなのがあって。言いたいことは端的にトントンって書くべきだと。それを説明するような言葉が入ってくると長くなっちゃうから、それがないような文章にしなきゃいけないよね、っていうことも考えてました。」
「できるだけ箇条書きにしようという、①②③で書こうとしてはありました。そればっかりになっちゃうのはちょっと嫌だなと思いながらも、そればっかし書きましたけど。」
日本語としてきれいに書きたい気持ちはありつつも、二次試験ではそれを優先しきれない。ツボさんは、その違和感も含めて受け入れながら、「短く、伝わる形」に寄せていった。
再現答案を作っても、毎年「受かった気」があった
——試験後の振り返りはどうしていましたか。
「再現答案は作りました。2週間以内かな。本気道場に出さなきゃいけなかったんですよ。覚えてるうちに出そうと思ってたんですけど、再現度はやっぱり7割とかそれぐらいですよね。」
問題用紙に答えを書いてから転記する形にしていたため、ある程度は残っていた。しかし、後から再現しようとすると、どうしても文章を整えたくなってしまう。ここでも「本番で書いたもの」と「後から見直した文章」の差が生まれる。
——受かった年と落ちた年で、感触の違いはありましたか。
「毎年、これは受かったなと思ってたんですよ。」
この一言が、ツボさんの二次試験を最もよく表している。手応えは、毎年あった。だが、それは結果と一致しなかった。
合格した年だけは、「今年は駄目だろう」と思っていた
——合格した年は、どんな手応えでしたか。
「最後の年だけ、財務の桁数がむちゃくちゃ多い年だったんですね。普通、何百万円とか何千円とかって省略されるじゃないですか。それが何円までってあって、答えも何円まで出せ、みたいな感じの年で。」
「電卓叩くのがすごくつらかったんですよ。ケアレスミスの多い人間なんで、プルプル震えながら大丈夫かな、大丈夫かなとかってやってて。他の問題も、書けたことは書けたんですけど、答えとしてあんまり自分でも納得してないものが多くて。」
——その年は模試の評価も厳しかったそうですね。
「ぶっちゃけ、Dランク評価だったんですよ。ちょっと前の直前のやつが。良くてもCだったはずなんですけど。」
「読み取りミスというか、そんなこと聞いてないよね、っていうようなことを思い込みで書いちゃってたっていう。二次試験は大体、思い込みで失敗してました。」
ここで初めて、ツボさんは自分の失敗パターンをかなり明確に言語化している。
知識不足でも、努力不足でもなく、「思い込みで書いてしまうこと」。手応えがある年ほど、実はそこに落とし穴があったのかもしれない。
「もうプルプル震えて帰って、打ち上げがあるっていうからみんなで移動してても、しゅんとしてたんですけど。受かっちゃったんですよね。でも、そんなもんですよね。」
合格発表は、昼休みと夕方に二度見した
——合格発表はどんなふうに見ましたか。
「Webで見たんですけど、仕事中です。昼休みに1回見て、最初は見間違いだろうと思ってたんです。縦で見てたらなくて、やっぱり駄目だったかと思って、一旦閉じて。」
「午後の仕事をして、夕方にもう1回見てみるかって見たら、確かにあるんですよ。これは見間違いじゃないなと思って、そっからじわじわきました。2回確認して。」
その年は、受かると思っていなかった。模試の評価も悪く、本番後の感触も良くなかった。そのため、合格の確認は一度では終わらなかった。
「受かると思ってなかったし、成績も悪かったので。驚きと、疑心暗鬼で、自分を信用してなかったっていうのがあるんですけど、なんかじわじわときましたね。」
真っ先に伝えた相手は、勉強仲間だった。家族に大きく共有していた受験ではなかったからこそ、長く同じ時間を過ごした仲間が、最初の報告先になった。
「今年でやめよう」と思った年に受かった
——合格した年、それまでと何が違っていましたか。
「いけたのがいけないのか、もう1回やっても受かるかわかんないっす。もう長くやってるもんだから、もう今年でやめようと思ってたぐらいの年だったんで。」
この答えは、成功法則としては少し扱いにくい。けれど、実像としてはとても重要だ。合格年に劇的な自信があったわけでも、明確な「今年は違う」という感覚があったわけでもない。むしろ逆だった。
それでも、その直前までツボさんは、自分の答案と模範解答を比べ、過去問を解き、モチベーションが下がることまで見越して「事例ごとの音楽」を決めていた。結果が読めなくても、やるべきことをやめなかったことだけは確かだった。
次回予告
14年の受験生活の中で、ツボさんを支えたのは勉強仲間の存在でした。
会社にはほとんど言わず、家族にも伝えず続けた受験。
第3回では、合格までの葛藤と、診断士になって変わった人生について聞きます。
