中小企業診断士の受験は、試験問題だけとの戦いではありません。ツボさんの場合、長い受験期間の中で重かったのは、時間の使い方や、周囲との距離感、そのまま続けていいのかという迷いでした。会社にはあまり言わず、家族にも広く共有せず、親の介護が重なった時期もあった。そんな中で受験を支えたのは、意外にも多くの人ではなく、ごく限られた勉強仲間だったといいます。14年の受験で、何が削られ、何が残ったのでしょうか。

一番つらかったのは、「あと1問」で落ちたとき

——長い受験期間で、一番しんどかったのはいつですか。

「1次試験にTACに入ってようやく受かったんですけど、その1次試験に受かる直前の期間が一番つらかったですね。何やっても受からないし。最後に落ちたと知って、1問間違ったんですよ。」

「足りなかった点数は、情報の1問分でした。その最後の1問が、最初に答えてた答えを書き直した問題だったんですね。そしたら最初に答えた方が合っていて、書き直した方が間違いだったんですよ。そのために『俺はまた1年やるのかよ』と思ったっていう。一番つらかったです。」

長く受験してきた中でも、ツボさんが「一番つらかった」とはっきり言ったのは、この場面だった。落ちたことだけでなく、どこで落としたのかを自分で分かってしまっていたことが大きかった。

立て直しは、気合いではなく「いったん離れる」ことだった

——その後、どうやって立て直しましたか。

「だから、しばらく何もやりませんでした。勉強も嫌ですね。確実にやってたのは、釣りとかキャンプとかにずっと行ってましたね。」

「その頃、TACの模試もあったので受験はしたんだと思うんですね。どうせボロボロなんですけど。そこでもう1回みんなと会って、『まだ1年やるか』と思って。」

気合いで切り替えた、という話ではない。いったん勉強から離れ、外に出て、それでも模試や仲間との接点が残っていたことで、もう一度受験に戻っていった。

本気になってからは、夏休みも秋も試験に譲った

——勉強を続ける中で、何を一番削ることになりましたか。

「もう長くやってるもんだから、もう今年でやめようと思ってたぐらいの年だったんで。そうなると毎年、夏休みは潰される、秋の行楽シーズンも潰されるっていう生活だったんで。」

「やっぱり自分の人生が何か試験で終わるんだっていう。ライフワークが受験だったらいいんですけど、そんなものにはしたくなかったですし。」

第1回では、受験初期に夏休み中の一次試験より遊びを優先していた時期が語られていた。だが本気になってからは、その逆になった。遊びに行くと落ちる、という経験を重ねた結果、夏休みや秋の外出は、まず試験に譲るものになっていった。

会社にはあまり言わず、受験は社外で続いていった

——周囲との関係で、何か変化はありましたか。

「それまでずっと1人でやってて、誰にも会社にもあんまり言ってなかったし。」

「言ってないです。副業やってるっていうのも一部の人間しか知らないですね。」

会社には、受験のことも、合格後の動きも広くは話していなかった。資格を取った人を社内報で紹介するページもあったが、自分はそこに出たくなかったという。受験を秘密主義で進めたというより、あまり大きく言わずに続けていた、という実態に近い。

「こっそり勉強して、受かりましたって会社に報告して驚かれるのかなと思ったら、それ何ですかって聞かれちゃうぐらいなので。」

会社の中で資格が強く共有されていたわけでもなかった。だからこそ、受験生活の中心は社外に移っていったとも言える。実際、ツボさんは合格後に「会社の飲み会が非常につまらなくなりました」と話している。診断士の人たちと会う方が面白く、学びもあると感じるようになったからだ。

支えになったのは、一緒に勉強していた仲間だった

——支えになったのは誰でしたか。

「ぶっちゃけ、いないですね。やっぱり勉強仲間がいて、勉強仲間が頑張ってる姿を見てるからみんなが集まるし、そこに行って勉強しようっていう気持ちで。それがあったからやってこれたかなって思ってます。」

ここでの「いないですね」は、誰にも支えられなかったという意味ではなく、家族やSNS上の誰かではなく、現実に一緒に勉強していた仲間が支えだった、という意味合いが強い。ツボさんは後半で、受験生へのメッセージとしても「人の繋がり」を繰り返している。

介護が重なった時期も、受験は止まらなかった

——その時期、生活面ではどんなことが重なっていましたか。

「ちょうどその頃に、親の介護だとか何だとかってのも重なっちゃってて。なかなか時間が取れなかったっていうのは言い訳だからあんまりあれなんですけど、やっぱり勉強仲間って大事だなと思いましたね。」

親の介護について詳しい状況までは語られていない。ただ、時間が取りにくい時期があったこと、その中で仲間の存在が受験継続に影響していたことは、はっきり残っている。

合格発表は、昼休みと夕方に二度見した

——合格発表の瞬間は、どんな状況でしたか。

「まず見間違いだろうと思ってました。Webで見たんですけど、仕事中です。昼休みに1回見て。」

「最初はなくて、『やっぱり駄目だったか』と思って。視点を変えて見たら、あったんですよ。なんか似たような番号があるなと思いながら、ちょっと見間違いだなと思って一旦そこで閉じて、午後の仕事をして、夕方にもう1回見たら、確かにあるんですよ。」

「これは見間違いじゃないなと思って、そっからじわじわきました。受かると思ってなかったし、成績も悪かったので。驚きと、疑心暗鬼で、自分を信用してなかったっていうのがあるんですけど、なんかじわじわときましたね。」

ここでも、劇的な表現は出てこない。昼休みに一度見て、夕方にもう一度見る。見間違いではないと確認してから、少しずつ実感が来る。ツボさんの合格の瞬間は、そういう時間差のあるものだった。

最初に報告したのも、やはり勉強仲間だった

——最初に誰に伝えましたか。

「同じ勉強仲間の人が『どうでしたか』って聞いてきたんで、まずその人に答えちゃいました。」

「親もいなかったし、僕は独り身なので家族がいるわけでもないので。兄弟にはそんなこと話してなかったんで。ちゃんと報告に行ったのっていうのは、お墓かなって。」

合格報告の順番にも、ツボさんの受験生活の実態が表れている。最初は勉強仲間、その後に恩師、そして親の墓前。家族ぐるみで応援されながら受験していた、というストーリーではない。だからこそ、長く受験を共有してきた相手が誰だったのかがよく分かる。

会社で大きく変わったわけではない。でも、見方は変わった

——会社には合格をどう伝えましたか。

「やっぱり秘密主義にしてるつもりはないんですけど、あんまり人に言わないもんですから。」

「うちのそのとき上司だった女性の部長さんは知っていて、喜んでくれましたね。食事もご馳走してもらいましたしね。」

全員に共有していたわけではないが、理解してくれる人が全くいなかったわけでもない。その距離感のまま、ツボさんは会社員として受験を続け、合格後も企業内診断士としての立場を保っている。

——中小企業診断士になって、自分自身は何か変わりましたか。

「そういった意味では変わりました。根本的なところは何も変わってないんですけれども。」

「ものをちゃんと筋道立てて考えられるようにはなってきたなっていうのはありますよね。あと、理由とか根拠とか考えると、そんな不用意なこと言えないよねっていう。」

合格後の変化として語られたのは、派手な肩書きの変化ではなく、物事の見方の変化だった。以前は会社の中でも「ひたすら文句を言い続ける」タイプだったが、今は理由や根拠を考えるようになったという。受験勉強は、業務の仕方や人との関わり方にも少しずつ影響していた。

結び(受験生へのメッセージ)

——最後に、受験生に伝えたいことは何ですか

「なんだかんだ言いながら、人の繋がりだと思うんですよ。受験生時代の仲間、受験時代もそうですし、合格してからもそうですし。決して1人でやるべきものじゃないなと思っていて。」

「試験なんていつか受かるんで。継続は力なりですから。頑張っていただいて、その間に人とのコミュニケーションというか、そういうのも大事にして頑張ってもらえたらなと思ってます。」

14年という時間をかけたツボさんが、最後に残したのは、奇抜な勉強法でも、気合いの言葉でもなかった。続けることと、1人で閉じないこと。その二つだった。

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浦 美和子
人材派遣会社で営業担当として、採用、配属後のフォロー、職場改善などに従事。2017年に中小企業診断士と国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得。現在は独立開業し、中小企業の経営支援を行う。得意分野は、人事労務・人材育成、事業承継など。