【合格体験記】独学からTACへ。251点で診断士二次試験を突破した「型」の作り方(第2回/全3回)
一次試験は「60点でいい」と合格点から逆算して乗り越えた齊木達也さん。しかし、中小企業診断士二次試験では、その考え方だけでは結果につながらなかった。独学で挑戦を重ね、ようやく「受かった」と思えた年にも不合格。反対に、合格した年は「普通にやって普通に終わった」という。手応えの強さと結果が一致しない試験で、齊木さんは何を変え、何を変えなかったのだろうか。
「通った方がいいという認識がなかった」――独学からTACへ
——二次試験には最初どう向き合いましたか。
「最初の一、二回は、特に何も行ってなかった感じだったんで。

独学でしたね」
一次試験は最初の挑戦で突破したが、二次試験はそうはいかなかった。
齊木さんは、二次試験を複数回受験している。初期は予備校に通わず、一人で勉強を続けていた。
——なぜ最初は独学を選んだのですか。
「あんまり、通った方がいいっていう認識が全然なかったんですよね。
結構、意識的にも半端にやってた感じはあったと思うんです。
最初にも言いましたけど、動機が他の人みたいに大義があったわけでもないですし」
独学そのものが悪かった、と振り返っているわけではない。
当時は、そもそも「予備校に通う必要がある」という認識がなかった。
一方で本人は、その時期の自分について「半端にやっていた」と表現している。
勉強方法だけではなく、資格を取り切ることへの向き合い方にも、後年との違いがあった。
——TACに通い始めて何が変わりましたか。
「TACに通い出して、仲間ができて。
ああ、やっぱりちゃんとこれ受かって、こういうことやりたいなって思ったのが、この二年ぐらいだったので」
TACに通ったから自動的に合格したわけではない。
変わったのは、勉強する環境だけでもなかった。
一人で受験していた時期から、先生に教わり、仲間と学ぶ環境へ移ったことで、「資格を取って何をしたいのか」という意識にも変化が生まれた。
さらに、勉強そのものも、「問題をたくさん解く」ことから、自分の解答プロセスを固める方向へ変わっていった。
「考えることを極力ゼロに」――当日のミスを減らすための型
——合格に向けて何を一番変えましたか。
「もうほんと、型を作って。
新しい知識が入ったら、そこに加えて、型を更新して。
TACに通っていたので、その型を試すみたいな形のことを毎週繰り返していた感じでしたね」
齊木さんがいう「型」とは、模範解答の文章を暗記することではない。
試験開始から答案を書き終えるまでの、自分自身の解答プロセスだ。
——その「型」はどんなものでしたか。
「自分がまず名前を書いて、段落を振って。
ここをチェックして、設問文を分析するのはここを見ようね、みたいなものを型にしていました。
最後、誤字脱字のチェックをするまでの手順っていう感じですね」
試験会場で何をするかを、できるだけ事前に決めておく。
名前を書く。
設問を読む。
チェックするポイントを確認する。
解答を書く。
最後に誤字脱字を確認する。
こうした一連の手順を言語化し、演習のたびに修正していった。
——型はどのように更新したのですか。
「辻井先生の講義の内容もそうですし、自分自身が、このやり方だったらスムーズにいったなっていうものを書き出しておいて。
それをどんどん、毎回更新していくみたいな形です」
完成した型を最初から持っていたわけではない。
毎週の演習で試し、うまくいかなかった部分を書き込み、また次の演習で試す。
その繰り返しだった。
——辻井先生の指導はどう生かしましたか。
「添削の下の、ミスした部分を先生に直接聞きに行ったりっていうこともできましたし。
そういう癖だったりとかも、先生が覚えてくださる感じだったので。
アドバイスをいただいて、型の更新に使ったりっていうのはしてましたね」
質問しやすくするため、授業では一番前の席に座っていたという。
添削結果を受け取って終わるのではない。
自分がなぜ間違えたのかを確認し、その原因を次の「型」に反映する。
勉強の単位が、「一問解く」から「自分のプロセスを修正する」へと変わっていった。

——型を作る目的は何だったのですか。
「ほんと辻井先生の教えではあったんですけど、考えることを極力ゼロにして。
『これが来たから、これだな』っていうので、ひたすら対応する。
型のこれ、一番の二だ、みたいな形でやってた感じでしたね」
二次試験では、毎年違う事例企業が登場する。
何が出るかを完全に予測することはできない。
だからこそ齊木さんは、当日にゼロから考える部分を減らそうとした。
「想定外をなくす」のではなく、想定外が起きても、自分が普段通りに動ける部分を増やしていった。
「この言葉が来たらこれ」――過去問を解く以外の使い方
——過去問はどのように使いましたか。
「五年、六年分ぐらいの過去問の設問文を全部書いて。
この言葉が来たら、このキーワードを想定しよう、みたいなノートを作ってました。
例えば令和五年の問一ってなったら、頭の中に問題文が浮かんできて。
この問題の解答の要素は、この三ポイントみたいなのがスッと出てくるようにやってましたね」
過去問を何周したかではなく、設問のパターンを頭に残す。
それが齊木さんの使い方だった。

——そこまで覚える理由は何でしたか。
「覚えておいた方が、『これは令和三年の三番と同じパターンだ』っていうふうに、当日機械化できたと思ってるので。
割とそこは、こだわってやってた記憶がありますね」
まとまった時間を使って丸暗記するわけではない。
10分ほど時間ができたときに、過去問のある年度を頭の中で思い出す。
設問を見た瞬間に、必要な考え方を呼び出せる状態を作っていった。
——なぜそこまで機械化を意識したのですか。
「終わった後に、『あ、これあれじゃん』みたいな形のものを絶対なくしたかったので。
このキーワードを入れるっていう認識するところを、見落とさないっていうところが一番ですね」
知識がなかったから答えられないのと、知っていたのに本番で気づかなかったのとでは違う。
齊木さんが減らそうとしたのは、後者だった。
本番後に「あれを書けばよかった」と気づくミスを防ぐため、設問の言葉と答えるべき要素を結びつけていった。
「二次試験の最適教材は中小企業白書」――一人ではできない勉強
——勉強会では何をしていましたか。
「土日は、崖メンバーだった人たちのOBでチームを組んでいて。
模試の議論をしたり、テーマを決めたりしてました」
TACでの学習とは別に、齊木さんはグループでの勉強会にも参加していた。
特徴的なのは、過去問の答案を見せ合うだけではなかったことだ。
——具体的には何を調べたのですか。
「例えば事例Ⅰで、白書関係を持ち寄って、出そうなところをディスカッションしてみようかとか。
事例Ⅱだったら、『価格戦略、絶対出るよね今年』ってなって。
出題委員の論文を持ってきて、その人がどういうことを書いているかをディスカッションしたりしました」
価格戦略については、関連する論文を読み、その考え方の変化まで議論した。
そして実際の試験では、価格に関する論点が出題されたという。
——中小企業白書はどう使いましたか。
「白書を使ってましたね。
結構イメージしやすいじゃないですけど、TACの演習しか題材としてはなかったんですけど。
コラムとか、結構使えるなって思うものが多かったので、結構見てましたね」
事例Ⅰでは中小企業白書やガイドライン。
事例Ⅱでは4Pや価格戦略に関する知識。
事例ⅢではJIS。
市販教材だけでなく、事例企業を考えるための材料を広く集めた。
齊木さんにとって、中小企業白書は単なる一次試験の暗記教材ではなかった。
企業が実際にどのような課題を抱え、どのように対応しているかを知るための材料でもあった。
一人では調べきれないテーマを持ち寄り、議論する。
独学時代との違いは、勉強時間の量だけではなく、触れる知識の幅にも表れていた。
「量をやっても仕方ない」――知識を増やす勉強から、出す勉強へ
——合格した年は勉強量も増やしましたか。
「今年に関しては、もう量をやっても仕方ないなって思ってたんで。
ある程度、インプット自体は完了してるっていう自信はあったので。
あと、それをどうちゃんと頭の中にあるものを出せるかと、ミスをしないか。
この一年は、そこに腐心していましたね」
平日は昼休み、移動時間、夜を勉強に使った。
土曜日はTACの演習。
その演習に向けて型を更新し、事例Ⅳには継続的に触れた。
ただし、過去問や演習を際限なく増やすことはしなかった。
——量より質に変えた理由は何でしたか。
「数やっても、結局当日できなかったら意味がないって思ってたので。
質をとにかく高めるようにはしたのは、結構こだわってやってたかもしれないですね」
知識を入れる段階から、持っている知識を試験当日に出す段階へ。
勉強の目的そのものが変わっていた。
この発言からは、合格した年の変化が「新しい勉強法を増やしたこと」ではなく、すでに持っているものを再現できる状態へ近づけたことにあったという印象を受ける。
「受かってると思ったら落ちていた」――手応えと結果は一致しない
——以前の二次試験の手応えはどうでしたか。
「令和のある年は、本当に受かったって思ってたんで。
結構感触も良かったんですけど。
結果はダメだったんで、分かんないじゃないですか。事例Ⅳ以外は、答え合わせ的に」
二次試験の難しさの一つは、自分の答案がどの程度評価されるのか、試験直後には分かりにくいことだ。
齊木さんにも、「受かった」と感じた年があった。
その年は、再現答案を辻井先生に見てもらった際にも、内容について高い評価を受けたという。
——その経験は、次の受験にどう影響しましたか。
「再現答案を先生に出して、『めちゃくちゃいいですね』って言っていただいたんですよ。
自分でも『受かってるのかな』って思ってたんですけど、結果は不合格で。
なんで今年に関しては、もう周りもびっくりするほど凪で。
あまり期待しすぎないように、『落ちてる』ってずっと自分に言い聞かせてました」
本人にも手応えがあり、再現答案の内容にも一定の評価が得られていた。
それでも、実際の合否とは一致しなかった。
二次試験では、再現答案だけでは捉えきれない採点要素もあり、手応えや周囲の評価から結果を読み切ることの難しさがある。
この経験を経て、齊木さんは試験後の感触だけで合否を判断しないようになっていった。
「普通にやって普通に終わった」年に、249点で合格した
——合格した年の手応えはどうでしたか。
「今年に関しては、もう普段やってたことを、そのままやっただけだったので。
普通にやって、普通に終わったみたいな感じで。
でも、『いつも通りできたな』っていう意味での手応えはありました。
用意してたものは出し切ったなっていうのはあったので」
前年の「受かったと思った」という手応えとは違う。
合格した年にあったのは、「いつも通りできた」という感覚だった。
その「いつも通り」を作るため、齊木さんは試験内容以外にも準備をしていた。
——本番で普段通りにする工夫は何でしたか。
「オリンピックの水泳選手の話を聞いたことがあって。
飛び込み台に立ったときに緊張しないように、何カ月も同じルーティンで過ごすっていう。
それを聞いて面白いなって思ったので。
TACの演習のときから、着る服も全部同じにしたり。
使うペンも、置く場所も全部同じにそろえたり。
当日の間食するものも同じにしてました」
毎週の演習を、本番の予行練習にする。
答案の作り方だけではなく、服装、筆記具、その置き場所、間食までそろえる。
本試験を特別な一日にしないための準備だった。
——本試験では型どおりにできましたか。
「いきましたね、やっぱり。
想定外のことはあったとしても、割と落ち着いてできたかなと思います。
『なんだこれ』みたいなのは、絶対あるのはあるんで。
でも結局、二次試験も6割取れたらいいんで。
4割確実に取って、あとはなるようになるだろう、みたいな感じでやってました」
一次試験でも使っていた「6割でいい」という考え方は、二次試験でも残っていた。
ただし、そこに至るまでの準備は大きく変わった。
独学で問題に向き合っていた時期から、先生の添削を受け、自分の癖を知り、解答プロセスを型にする。
仲間と白書や論文を読み、過去問の設問を頭に入れる。
そして、量を増やすことより、本番で同じ動きを再現することに集中する。
結果は、事例Ⅰ51点、事例Ⅱ75点、事例Ⅲ62点、事例Ⅳ60点。合計248点だった。
——248点という結果をどう振り返りますか。
「まあ、受かりゃいい。
40点台を作らないっていうのは、結構自分の中で狙ってできたかなって思ったところだったので」
最高点を狙うのではなく、大きく崩れる事例を作らない。
248点という得点は、齊木さんが続けてきた「60点を取ればいい」という考え方とも重なる。
そして興味深いのは、「受かった」と思った年には落ち、「普通に終わった」と感じた年に合格したことだ。
手応えがなくなったのではない。
手応えの基準が、「良い答案が書けた気がする」から、「用意してきたことをいつも通り出せた」へ変わっていた。
——合格を知った瞬間はどうでしたか。
「本当に『落ちてる』って思ってて。
見たら受かってたんで、『あれ、なんでかな』みたいな。
驚きっていうか、自分の気持ちが追いつかなかったんですけど。
一週間ぐらい経って、やっぱり実感が湧いてきたっていう感じでしたね」
合格した瞬間に、大きな実感が押し寄せたわけではなかった。
前年に手応えと結果が一致しなかった経験から、結果を見るまで「落ちている」と考えていた。
だからこそ、合格という事実に気持ちが追いつくまでには、一週間ほどかかったという。
「受かったと思った年」に落ちた。
「普通にできた年」に受かった。
その違いを単純に一つの勉強法へ結びつけることはできない。
ただ、齊木さんの受験生活を見ると、合格した年には、知識を増やすこと以上に「自分がやることを決め、それを本番で再現する」ための準備が積み重なっていた。
二次試験で求められたのは、完璧な答案を作ることではなかった。
齊木さんにとっては、想定外が起きても大きく崩れず、4事例を通して合格点を取り切ることだった。
そして、その状態を作るために磨き続けたものが、自分自身の「型」だった。
次回予告
「受かった」と思った年に不合格。それでも翌年、試験後は驚くほど「凪」だった――。長い受験生活を続けられた背景には、TACで出会った仲間、辻井修二先生、そして不合格の直後に「続けられるよね」と言ってくれた妻の存在がありました。最終回は、5年間の受験生活で最もつらかった時期、合格を知った瞬間、そして資格を取った先に見えてきた「目の前の困っている人を助ける」という診断士像に迫ります。
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